ぽこあぽこ日記

あらゆることをびぼうろく

【過剰包装】間違ったパッケージ文化が日本をダメにする

わたしは「パッケージ文化」という言葉をよく使うのだけど

たぶん、そんな用語は存在しないハズだ。

10年以上前に知り合ったお方が

 

日本人はパッケージに弱い。

他人の評価もじぶんの評価もパッケージが気になって仕方ない。

それをお互い知っているから「いかにじぶんをパッケージするか」に必死になる。

中身のない人間ほどパッケージの上にパッケージを重ねる。

ますますコアな部分が見えなくなるが、それでなんとかなるのが日本のパッケージ文化だ。

 

みたいなことを言っていて衝撃を受けたことがきっかけだったと思う。

わたしが子どもの頃からなんとなく感じていたことを言語化してくれたわけです。

それからというもの

わたしはこの「パッケージ文化」というワードをちょいちょい使っているのでした。

 

世の中には腑に落ちないことがたくさんありますね。

権威や肩書には逆らえないし

「見せかけだけ」「輪郭だけ」の公平な判断にもあえて流されないとならない。

イジワルな見方をすればさいきんのSNSや動画だってパッケージビジネスだし

エコのためのレジ袋有料化なんてパッケージ以外の何物でもないし

断捨離やミニマリストというシンプルワードさえパッケージだと思っている。

 

前置きが長くなってしまったけど

きょうは色んな意味で日本が脱・パッケージ文化してくれたいいな

という願いを込めて書いてゆきます。

 

思いやりの「包む文化」

前置きでも書いたけど

日本は良くも悪くもパッケージ文化なのだと思います。

例えば

相手を思いやる気持ちが「包む」ことに含まれてたりすることがある。

これは素晴らしい文化であると思う。

実際、江戸時代には「包む」ことは教養のひとつとして大切にされてきたくらいだ。

「ベストな状態で相手に届ける」ために

和紙や風呂敷、時には自然素材を使って合理的に包む…先人の知恵が感じられます。

 

包む文化と過剰包装

だけどね、きょうはちょっと確認したいことがあるのよ。

これらは「思いやりの包む文化」と言えるのかどうかご査証願いたいです。

 

ドラッグストアで購入したドーナツ

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個包装のドーナツがきれいに並べられている。

でもね 

 

これは必要?↓↓↓↓↓

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トレイに乗った個包装のドーナツが大袋に入ってる。

 

スーパーで購入したあんぱんにもトレイ

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このあんぱんは小分けはされていないけれどトレイが邪魔なの。

開けたらすぐにトレイだけ捨ててあんぱんをもとの袋に戻している。

 

このトレイもすぐにゴミ箱行き

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このトレイたち、ほんとうに必要なの?

3連になってるハムとか

2袋がテープで巻かれているウインナーとか

テープで巻かれたネギや野菜とか

バラすために料理している手がいったん止まってしまうの。

 

プラに頑丈にパッケージされた化粧品たちなんて

中身にたどり着くまでに何分かかるか。

プラスチックで手を切ってしまうことだってあるし。

洋服だってそうだ。

プラタグでくっついている靴下をハサミで分離するときイラっとしません?

その上つま先に金具までくっついてるのは何のためですかね。

いち消費者として感じたことを素直に言ってもいいのなら

 

世の中に溢れている商品のほとんどが過剰包装なんじゃないの?

 

と言いたくなってくる。

他に選択肢があるのならわたしはこのような商品は買わないと思う。

そして逆に

もしもこれらの過剰包装に関して致し方ない理由があるのなら教えてほしい。

 

dad-ic.com

 

日本では1990年代からプラ包装が急速に増えていった

わたしが子どもだった昭和50年代

母親たちの買い物は、商店街の八百屋さん、魚屋さん、お肉屋さんで

グラムで紙に包んでもらったり

バラで買ったものを買い物かごに入れて歩いていたものだ。

夕方になるとお豆腐屋さんのラッパの音が聞こえてくるような時代だった。

 

町内にスーパーマーケットが出来てから

スーパーに行くとすべての食材がいちどに買える便利さにみんなが気付いた。

人々の生活スタイルも、小売業や流通業の形態も大きく変わることになる。

肉や魚は食品トレイに乗るようになり

さらにコンビニがあちこちに出来てからさらにプラスチック包装が増えてゆく。

わたしたちはプラスチック包装によって利便性という大きな恩恵を受けていたのだ。

 

包む文化が裏目に

販売する側からすれば

食品の鮮度を保ち、衛生面・安全面を徹底するためには

どうしても食品トレイやプラスチック包装が必要だったことは理解した。

プラスチック包装自体を敵対視することは「昭和に戻れ」ということだ。

だとしたらあとは「バランスの問題でしょ?」としか言えなくなってくる。

 

良い品質の食品を出来るだけ良い状態で美しく提供する

 

という企業努力がいつのまにか独り歩きした結果が今の状態なのだとしたら

なにも昭和に戻らなくてもいいから少し方向性を修正できないものなのだろうか。

 

お客さまは神様ではない

相手の立場になって考えることは社会生活での基本だけど

それは相手の顔色を伺うこととは違う。

企業が消費者のニーズを把握してより良いサービスを提供する理由は

「お客さまは神様」だからではない。

なぜか今の世の中、なんでも極端に寄りがちなのだ。 

バランスを保ちながら常識の範囲内で企業努力をしてほしいですね。

消費者だって馬鹿じゃないんだから「理念」が伝わってくれば理解できるでしょ。

あちらを立てればこちらが立たず

こちらを立てればあちらが立たず

こんな世の中でもどうにか折り合いをつけてやってゆくしかないのだから。

  

おとといプラごみを出したばかりなのにこれだけゴミが出ている

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まとめ

わたしは化粧品を扱う会社で働いていたので

メーカーが流通過程の箱潰れを恐れる気持ちもわかるし

最近は一概には言えなくなってきてるけど

見栄えの良さが売り上げに繋がることもまだまだあるあるのですよね。

社会全体が「本質を見極める」ことの大切さにもっと気付いてゆけば

誤魔化しはきかなくなるしもっともっとムダは省けて行けると思います。

本当の価値がわかる人間が増えてゆけば詐欺師もこの世からいなくなるでしょう。

 

ということで最後のひとこと

裸のじぶんで勝負できるお相撲さん、まじリスペクト!

 

 

\最後までお読みいただきありがとうございました/

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