今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
あ、そうだね。そういえば明日は「敬老の日」だね。
お題のテーマで思い出すという失敬な*ぽこあぽこ*です。こんばんは。
思えば
学校の「敬老の日」の行事の一環として、市内に住む見知らぬお爺さんお婆さんに向けて「感謝の手紙」を書き送ったりした子供の頃は
ほんとうに心の底からご老人を敬っていました。
つたない文章で送った手紙に対して、顔の見えないお爺さんお婆さんから優しい言葉でお返事を頂くこともあり、嬉しかったものです。
それが今はどうよ…
正直なところわたしにとって「敬老の日」は年々印象の薄い日になりつつある。
そもそもいつからが老人なの?
ふと思う。
敬老の日に対して無頓着になったのは身近に老人がおられないからかもしれない。
こちらが敬いたくなるような老人のことです。
「敬老の日」とは
多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日 byウィキペディア
人生の先輩に対して敬意を払う…すばらしい趣旨の日です。
でもね
例えばだけど
60歳以上は運賃一律50円で意気揚々とバスを乗り回し遊び歩いている60代とか
60歳以上入場料無料の○○展に群れで押しかけ美術館を荒らす60代とか
60歳以上半額のビュッフェに群がる食欲旺盛な60代とか 群れるの好きですよね
さらに60代だけど美魔女!とか
エンジョイしていて幸せですね~良かったですね~いつまでもお元気で~
とは思ったとしても…そんなにリスペクトはできないし
彼らは特別扱いするほどの老人と言えるのか?元気だしむしろ金いっぱい持ってるだろうに…
美魔女老人なんておかしいだろ。
歳だけ重ねて心が幼稚なままの老人の存在が老人全体のイメージを崩してないか ?
イジワルな感情がわたしの中に存在していること、素直に認めます。ごめんなさい。
わたしのイメージする老人
わたしの祖父・祖母は4人共もすでに他界しているけれど
まさにわたしにとっての老人のモデルは血のつながったお祖父ちゃん、お祖母ちゃん。
シワくちゃの素手でハエを一瞬につかまえることのできるお祖父ちゃん
入れ歯を外したり着けたりしてわたしを怖がらせたお祖母ちゃん
洋裁の仕事をしていた母方のお祖母ちゃんにはよく人形を作ってもらったっけ。
とにかくわたしの記憶に残るお祖父ちゃんお祖母ちゃんは
働き者でじっとしていることはなく…なんかカッコ良かった。
子供の心を「すごいなぁ」でいっぱいにしてくれる存在。
わたし自身が成長するにつれて彼らもさらに歳をとり
最後は寝たきりになってしまったけれど
この世代の人たちが戦争中どれだけ大変な思いをしながら家庭を守り子供を育ててきたのか
そういった奥行きも見えるくらいにオトナになったわたしは
どんなに弱々しい姿を見ても、たとえわたしのことが誰なのか分からなくなってしまっても
大好きだったしリスペクトの念は消えなかった。
父方の祖父は国鉄で働き祖母は隣の県まで行商に出て5人の子供を育てた。
母方の祖母は4歳だった母と乳飲み子の叔父をつれて満州から命懸けで引き揚げてきた。
そのおかげでいまのわたしが存在する。いちばん身近なご先祖さまでもあります。
ちなみに
わたしの母も、夫の母も、団塊の世代よりも少し先輩の世代にあたるけれど
戦争中は子供だったために「ヒモじい思いをした」「しらみスプレーがイヤだった」というような断片的な記憶くらいしか残ってないようです。
祖父母よりも身近な存在であるハズの親からは当時の話はあまり聞けないうえに
わたしの母などは戦後教育の影響を受けやすい素直な子供だったらしく、いまだに「ニッポンは悪い国」などと口にしてこちらを驚かせる。
その辺の母の感覚は戦争体験者であるけれどほとんど団塊の世代と変わらないのだ。
戦争によってほんとうに苦労したのはその親の世代なのですよね。
ニコニコと穏やかな表情のその奥行きを想像すると感謝の気持ちが自然と沸いてきます。今でも。
はなし変わるけれど
きのう自由時間がたっぷりあったのでアマゾンプライムビデオでチョイスした作品
ドラマ版「永遠の0」
これ、たまたま観だしたら止まらなくなってしまった。
3部構成でとっても長い作品なのだけど、見応えは充分あります。勉強にもなる。
テレビのことボロクソ言ってるわたしですがテレ東やるじゃん。
決して戦争映画でも戦争賛美のお話でもなく
孫が「ほんとうのお祖父さん」のことを知ってゆくヒューマンドラマです。
まさに敬老の日にピッタリの作品だと思いました。
岡田准一くんが宮部を演じる映画版も観ましたがわたしはだんぜん向井理くんの宮部推しです。
プライム会員の方、ぜひ☆ぜひ☆
さいごに
わたしもいつか老人と言われるでしょう。近い将来。
はたしてその頃には「敬老」という言葉が存在しているかどうか…
わたしの世代がこれから生まれてくる子供たちにリスペクトされるのかどうか…
まだ…間に合うと思うのです。
せめてカラダが動くうちは楽しみながら世の中の役に立ちたいものです。
例えカラダが思うように動かなくなったとしても
未来のニッポンをほんきで想像して未来のニッポン人のために何ができるのか
せめて思いを馳せることはできるでしょう。
そして
最期はじぶんなりに納得をしながら子孫にリスペクトされながら散れたら本望です。
なぜか思い出した懐かしいMV
この頃のアメリカが恋しい…
*ぽこ*