まずはわたくしのヘアー事情。
前回よりもさらにモンチッチに近づく。
2019年 最後のヘアカット
10年後のじぶんを意識してます。
あの頃わたしはこんな髪型してたんだなぁ…と振り返ってるハズ。
最終的にこんな感じになりたいのであった↓
livedoor NEWS より
さて本題。
もう1週間たってしまいましたが
我が家の年中行事であるお伊勢参りに今年も行ってまいりました。
はてなブログでお伊勢参りの記事をアップするのはこれで3回目。
2017年↓
2018年↓
そして
2019年も真摯に参拝させていただきました。感謝。
3度目なのでお伊勢参りのことは割愛します。
今回はお伊勢参りを終えてから熊野地方へはじめて足を踏みいれて
熊野三山の奥の宮である玉置神社へお参りをしてきたの。
まったく予備知識なしに「玉置神社」でググってみると
呼ばれた者しかたどり着けない
とか
宇宙と繋がるパワースポット
みたいな
我の強いスピ系の人たちが好むようなワードと一緒に紹介されている。
風評被害だ…
普通の感覚を持つ人がお参りできなくなってしまうではないか。
何より、欲得な祈願によって玉置神社本来の神気が枯れてしまうという実害もある。
もしも本当の聖地であるのならば
呼ばれた者しかたどりつけない…こんな自己中なことを言う人間こそ行くべきないの。
玉置神社とは
奈良県の十津川村の南部に位置する玉置山(標高1076m)の山頂近くに鎮座する
地球誕生に関わる国常立太神(くにとこたちおおかみ)を本殿に祭神している唯一の神社です。
創建は紀元前まで遡ることが出来るけど
自然信仰の場所としての起源は数千年では済まない場所だと言われている。
実際、樹齢3000年を超える巨木がいくつも立ち
参道の岩肌に約3000~4000万年前の海底火山でできた溶岩石の地層が顔を出しているのを見かけました。
かつては太平洋の海底だったとはとても想像できない。
とにかく、太古からずっとわれわれを見続けてきた神さまであることは間違いありません。
存在は10年前から知っていたけれど
お参りしたい…と思ったのは
今年の台風15号のあと、つい数ヶ月前のことでした。
なんとなく地球が弱っているように感じてしまい
国常立太神(くにとこたちおおかみ)をお祭りしている玉置神社へ感謝の参拝をしたくなったのでした。
呼ばれた?なんて思ってないです。
自発的に、地球へ感謝のお参りをしたいと思っただけ。それだけ。
駐車場からの眺望
標高1000メートル以上の山の上に鎮座する神社なので
駐車場まで狭い山道をクネクネとひたすら登ってゆくことになります。
対向車とすれ違えない道、緊張しました。
参道を下るようなかたちになっているのは珍しい
今回、写真少なめです。
写真を撮るのもはばかられるくらい神々しい空気感に圧倒されていました。
静寂
とはこういうことを言うのだ。
1か所だけ、強く風の吹く鳥居がありましたが
それ以外はただただ「無」でした。下界とは別世界でした。
そして
国難の型を受けているのか…御労しい気持ちにもなりました。
とても個人的なご利益を期待するような気持ちになんてなれない場所。
何かを貰おうなどと思えない場所。
感謝の気持ちと御労しい気持ちが入り混って喉のあたりが痛くなりました。
鳥の声だけが響く
スピまみれな人たちではなく
普通の人の素直な感謝の参拝がもっと必要かもしれない…そう感じました。
感謝の磁気が神さまを元気付けそれが国土のためになる
それが巡り巡ってじぶんに還ってくる
ある意味これが本当の意味でのご利益なんじゃないかと思うんですよね。
わたしたちは自然の一部でしかないのですから。
*ぽこ*